SUPER EIGHT・横山裕さんといえば、俳優、タレントとマルチに活躍していますよね。
「24時間テレビ」のチャリティーマラソンランナーを務め、見事完走し日本中に感動を与えました。
そんな横山裕さんですが、生い立ちが非常に複雑であることも知られています。
今回は、横山裕さんの生い立ちについて、調査しました!
それでは、どうぞご覧ください。
横山裕の家族構成・母親は癌で急逝!

横山裕さんの家族構成は、非常に複雑です。
母親:2010年に死去
父親:実の父は顔を覚えていない
義父:再婚相手で横山姓を受け継ぐ
長男:横山裕さん
次男:勤さん
三男:充さん
両親は横山裕さんが3歳のときに離婚し、再婚相手の義父とは折り合いが悪かったそうです。
そんな中、母親にがんが発覚し、2010年5月16日に50歳の若さで急逝。
横山裕さんが29歳のときでした。

青森県でのソロライブ開演4時間前に伝えられたものの、ライブは予定通り開催。
事務所側にも何度も確認されましたが、「大丈夫だから」と、気丈に振舞っていたそうです。
その後、通夜に参列し、告別式にはSUPER EIGHTのメンバーも全員参列しました。
母親は亡くなる1か月ほど前にソロライブを観に来ていたので、最後には親孝行ができたと語っています。
【時系列】横山裕の生い立ち!

続いて、横山裕さんの生い立ちを、順番に見ていきましょう。
両親の離婚と母親の再婚
横山裕さんが3歳のときに、両親が離婚し、実の父はほとんど顔を覚えていないようです。
横山裕さんと義父は折り合いが悪く、団地の2階上に住んでいた祖父母宅で暮らすことに。

義父は血のつながらない横山裕さんに対して厳しく接していましたが、弟たちには優しかったそうです。
横山裕さんは弟たちを可愛がっており、貧しい生活の中、ご飯も自分で用意することが多かったとか。
義父は当初単身赴任で仕事をしていましたが、母親は仕事を掛け持ちしながら家計を支えていました。
義父との関係は修復せず、横山裕さんは虐待を受けることもあったとか。
横山裕さんは母親の苦労を間近で見ていたので、「家族を支えたい」とを思うようになります。
中学生でジャニーズ入り

オーディションに落選したものの、帰り道でジャニー喜多川氏に「You、舞台見にくる?」と声をかけられたのです。
横山裕さんは芸名「裕」と名付けられ、ジャニー喜多川氏が本名の「侯隆」が読みづらいと提案したそうです。
工事現場で働きながら、作業着でレッスンに通う日々だったそうです。
義父は横山裕さんに対し、「高校行かずに働け」と言われたと言います。
母親の病気と義父の離婚

このことがきっかけで、母親と義父の関係が悪化し、離婚することに。
母親の闘病中、幼い弟たちは児童養護施設に預けられることになり、横山裕さんはさらに働き続けることとなりました。
横山裕と弟のエピソード

横山裕さんと弟たちは、固い絆で結ばれています。
記憶障害に陥ってしまい、母親の死にまつわる2年ほどの記憶が抜け落ちてしまったのです。
その後、横山裕さんは大阪市に家を借り、3人で共同生活を始めました。
横山裕さんは弟に新しい世界を見せようと、様々な人に会わせたり、旅行に行ったりしていたようです。

横山裕さんは、24時間テレビの企画で、弟たちが入っていた児童養護施設を訪れています。
弟の日記や保育士の日誌を読み、涙があふれた横山裕さん。
弟は先生以外に兄のことを秘密にしており、テレビで見た際は「きみ兄ちゃんや」と喜んでいたそうですよ。
次男の結婚式では、「お父さん代わりになってくれてありがとう」と感謝され、涙が止まらなかったそうですよ。
三男は現在、税理士となっているそうで、立派な弟さんになりましたね!
横山裕と父親の現在の関係は?

一度食事会を設けた際は、「テレビ越しに息子を誇りに思っている」と言われたそうです。
しかし、横山裕さんは頻繁な交流は望まず、年賀状程度の距離感を保っているようですね。
母親のお墓参りでは、「横山家って書いてあるのに横山がいない」と、ネタにしていた横山裕さん。
横山裕さんは2人目の父親の名字を継いだので、「ホンマは横山じゃない説」と笑い飛ばしていました。
まとめ
今回は、横山裕さんの生い立ちについて、紹介しました。
横山裕さんは幼い頃に両親が離婚し、義父とは折り合いが悪く、中学卒業後は働いて家計を支えていました。
弟たちのことは大変可愛がっており、学費や生活費も工面していたようですね。
今後の活躍にも注目ですね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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