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桂米團治の学歴・経歴!高校は尼崎北高等学校出身で学生時代のエピソードは?

桂米團治の学歴・経歴!高校は尼崎北高等学校出身で学生時代のエピソードは?
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人間国宝の三代目・桂米朝さんという落語の名家に誕生した、五代目・桂米團治さん。

クラシック音楽と落語を融合した新しいジャンルを考案し、上方落語協会副会長にも就任しました。

そんな桂米團治さんですが、学歴や経歴が気になっている人も多いと思います。

今回は、桂米團治さんの学歴・経歴について、調査しました!

それでは、どうぞご覧ください。

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目次

桂米團治の学歴まとめ

桂米團治

桂米團治さんの学歴は、以下の通りです。

小学校:尼崎市立武庫東小学校
中学校:尼崎市立武庫中学校
高校 :兵庫県立尼崎北高等学校出身
大学 :関西学院大学文学部

桂米團治さんは大阪府大阪市南区で誕生し、兵庫県尼崎市武庫之荘に引っ越しています。

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桂米團治の学生時代のエピソードは?

桂米團治

桂米團治さんは、両親と双子の弟の5人家族で育ちました。

幼少期は人間国宝である父の弟子に育てられ、遊びや生活の中で自然と落語に触れています。

小学校時代には小児ぜんそくを克服するため、母の勧めでサッカースクールに通うように。

中学時代はサッカーの傍ら、音楽教師からの影響を受けクラシック音楽にハマったそうです。

高校時代は西ドイツで1か月間ホームステイを経験し、ザルツブルクではモーツァルトの生家を訪れました。

より一層音楽への関心が深まり、高校時代には文化祭で落語を演じています。

桂米團治

また、3兄弟での「落語会」を開くなど、演技や落語に親しむ学生時代でした。

絵画教室にも通い、講師から美術大学進学を勧められるほどの才能を発揮。

しかし当時は、自分が何になるべきか迷い、最終的に落語家を目指すことに。

ただ父に否定され、とりあえず大学に入るよう言われたため、関西学院大学文学部に進学します。

桂米團治

弟子の2代目桂枝雀が父に「落語をやらせましょう」と交渉してくれましたが、父親は相変わらず気が進まない様子。

仕方なく「一つだけ教える」となり、桂小米朝を名乗ることになりました。

入門後は大学を中退する気でしたが、父が大学を卒業することにこだわったため、しっかり卒業しています。

修業と学業の両立は大変で、後年「私が甘くなる原因の一つだった」と振り返っています。

弟子入りしたものの、噺の覚えが悪かったようで、よく叱られていたとか。

他の内弟子に対して焦りを感じる一方、古典芸能研究部OBから誘われ部活動を始めています。

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桂米團治の経歴まとめ

桂米團治

1978年には「桂小米朝」として『東の旅・発端』で初舞台を踏み、大学卒業と同時に本格的に活動をスタート。

初舞台が2か月と異例の速さだったことから、「息子やからな」と揶揄されたと言います。

1984年には連続テレビ小説で漫才師役を演じました。

『心はいつもラムネ色』

俳優として、映画「細雪」や連続テレビ小説「心はいつもラムネ色」に出演するなど、映像作品でも活躍しています。

2008年には5代目桂米團治を正式に襲名。

NHK連続テレビ小説『てるてる家族』など、テレビや映画、舞台などにも出演するように。

上方落語とオペラを合体させた「おペらくご」を確立し、現代と伝統を結びつける新しいジャンルを作り上げました。

現在は後進の育成や文化発信に力を注ぎ、上方落語協会副会長にも就任しています。

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まとめ

今回は、桂米團治さんの学歴・経歴について、紹介しました。

桂米團治さんは関西学院大学文学部出身で、在学中に父親に弟子入りしています。

父に反対されながらも修行に励み、現在は上方落語の普及に尽力しています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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