元大阪府知事で政治評論家として活躍している、橋下徹さん。
かつて「行列のできる法律相談所」に出演し、弁護士タレントとして一躍人気になりましたね。
そんな橋下徹さんですが、生い立ちが壮絶という噂があるようです。
今回は、橋下徹さんの生い立ちについて、調査しました!
それでは、どうぞご覧ください。
橋下徹の実家の家族構成

橋下徹さんの実家の家族構成は、両親と妹の4人です。
父親:元暴力団員
母親:シングルマザーとして育ててくれた
本人:橋下徹さん
妹 :大阪市の教員
橋下徹さんの物心がつく頃には両親が離婚し、母子家庭で育ちました。
橋下徹の生い立ちが壮絶!父親の職業は元暴力団員?

橋下徹さんの父親は、被差別部落出身の元暴力団員だったと判明しています。
橋下徹さんが大阪市長選に立候補した際、複数の週刊誌に生い立ちが取り上げられ、自身も認めました。
橋下徹さんは父親についてあまり記憶がないものの、2、3歳のときに背負い投げされぼこぼこにされた思い出があるそうです。
シングルマザーとなった母親は、昼夜問わず働き、女手一つで橋下徹さんと妹を育てました。
小学5年生の時に大阪に移り住み、大阪市東淀川区の狭い府営住宅で育ちます。
母親はしつけに厳しく、「妹をいじめない、目上の人を敬う、人を傷つけない」という3か条を言い聞かせました。
母親は橋下徹が中学1年生の時に再婚し、再婚相手と共に橋下徹さんと同じマンションで暮らしています。
幼少期は部落エリアに住んでいた

橋下徹さんは東京都渋谷区で生まれ、小学5年生の時に大阪市東淀川区にある府営住宅へ引っ越しています。
住んでいたエリアは同和地区と呼ばれ、被差別部落地区で育ったようです。
もともと身分が低く、卑しい仕事をしていた者が住んでいた地区で、いまだに差別があるとか。
橋下徹さんは母子家庭で家計が苦しかったので、たまたま引っ越した府営住宅が同和地区だったようです。
このような生い立ちから、橋下徹さんは差別問題にも強い関心を寄せています。
特に日韓関係については、SNSなどで言及することもあるようですね。
橋下徹の生い立ち!学生時代~政治家へ

橋下徹さんは、大阪への移住とともに東淀川区の小学校に転校。
そのときですでに身長170cmという目立つ体格だったことから、同級生にからかわれ殴られるなどいじめを受けています。
橋下徹さんは、「ドラえもん」のジャイアンのような強い存在と上手に付き合うため、スネ夫のように生きようと考えます。
中学時代はラグビー部に所属し、もともと頭の回転が速かった橋下徹さんは、だんだん目立つ存在に。

クラスが揉めた時も解決に導き、教師に一目置かれるほどの存在でした。
ただ成績は芳しくなく、早稲田大学を2学部受験するも不合格に。
1年間の浪人を経て、早稲田大学政治経済学部経済学科に入学しました。
大学時代は学生ビジネスで騙されて訴訟沙汰になったことをきっかけに、法律家を目指すように。
1994年には司法試験に合格し、晴れて弁護士となりました。
弁護士からタレントへ

弁護士になった橋下徹さんは、大阪の北区にある「樺島法律事務所」に入ります。
示談交渉や企業コンプライアンスなどを担当し、「飛田新地」の料飲組合顧問なども務めていました。
弁護士のかたわら、朝日放送「ワイドABCDE~す」「たかじんのそこまで言って委員会」「行列のできる法律相談所」などに出演するようになります。
弁護士タレントとしても人気を集め、事件や事故、時事問題なども幅広く批評していました。

そして、2007年に大阪府知事選挙に出馬することを表明。
第19代大阪市長、鳩山由紀夫内閣時代の総務省顧問、維新の会代表などを歴任。
2015年12月には任期満了で大阪市長を退任し、政界から引退しています。
現在は再びタレント事務所に所属し、政治評論家として、情報番組やワイドショーのコメンテーターとして活動しています。
まとめ
今回は、橋下徹さんの生い立ちについて、紹介しました。
橋下徹さんは両親と妹の4人家族で、父親が暴力団員で自ら命を絶ったという壮絶な過去がありました。
学生時代に弁護士を目指し、努力の末に弁護士資格を取得、タレント、政治家として激動の人生を歩んでいます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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