多くの作品で活躍した女優・吉行和子さんが、肺炎のため亡くなったことが分かりました。享年90歳。
朝ドラ『あぐり』や『3年B組金八先生』『ナースのお仕事』など、名作を思い出す人も多いでしょう。
また、公私ともに仲良しだった冨士眞奈美さんも、大変ショックを受けていると言います。
今回は、吉行和子さんと冨士眞奈美さん、岸田今日子さんの仲良しエピソードについて、調査しました!
それでは、どうぞご覧ください。
吉行和子と冨士眞奈美・岸田今日子が仲良くなったきっかけは?

吉行和子さんと冨士眞奈美さん、岸田今日子さんの「3人娘」が仲良くなったのは、40歳を超えてからでした。
冨士眞奈美さんと岸田今日子さんが、もともと1962年のドラマ『鏡子の家』で共演して以降、親友に。
冨士眞奈美さんが結婚している間に、岸田今日子さんと吉行和子さんが仲良くなったそうです。
冨士眞奈美さんが離婚後、吉行和子さんとは、俳句の会で仲良くなっています。
そこから、定期的に旅行に行く仲になったそうです。
3人娘がテレビ企画に

きっかけは、新宿三丁目の名居酒屋『どん底』のマスター・矢野智さん。
マスターは、スペインのマドリードにも店を構えていたので、岸田今日子さんが「行こうよ」と言い出します。
このお店は、三浦友和さんと山口百恵さんが結婚前に訪れたり、スペイン国王夫妻も来店した名店だそうですよ。
ただ吉行和子さんは「これだけ生きたんだからいいじゃない。怖くないわよ」と言い出し、最終的に1年後に行くことになったそうですよ。
行ってみると最高の旅だったそうで、気がつくと「また行こう」と、次の旅先を探し始めるように。
旅には台本が一切なく、好きなように楽しんでいたそうですよ。
3人とも、性格がバラバラで、好みも正反対。
しかし、不思議とバランスが良く、居心地の良い関係だったそうです。
吉行和子と冨士眞奈美の仲良しエピソード

そこから3人娘の旅番組が定期的に行われるようになります。
旅本『ここはどこ時に空飛ぶ三人組』も発売され、台湾、ハワイ、オーストラリアの旅の様子が収録されています。
吉行和子さんは岸田今日子さんと舞台共演で親しくなり、2人でインド旅行をしたそうですよ。
吉行和子さんはもとから、「明るくておもしろい楽しい人」と、冨士眞奈美さんに憧れがあったそうです。
趣味の俳句も、吉行和子さんは最初興味がなかったのですが、冨士眞奈美さんたちが楽しそうだったので始めたそうですよ。
ほどよい大人の距離感で、いい感じに楽しめる姿は魅力的でしたね。
三人娘が冨士眞奈美さんだけになってしまったのは、とても寂しいです。
吉行和子と冨士眞奈美の仲良しの秘訣も紹介

吉行和子さんと冨士眞奈美さんは、徒歩15分ほどの場所に住んでいました。
なんとも不思議な交流ですね。
この時代、LINEもメールもありますが、冨士眞奈美さんは“覚える気はない”と頑なに拒否。
お互い自由奔放で他人のことを気にせず、旅に行くといろいろ大変かと思いきや、ますます仲よくなったとか。

冨士眞奈美さんにはほかにも友達がいましたが、皆さん早くに亡くなってしまい、吉行和子さんだけが残ることに。
80代後半となってからは、2人とも骨粗しょう症予防を進めていました。
吉行和子さんがスマホの歩数計を使いこなしている横で、極度の機械オンチである冨士眞奈美さんは断固拒否。
2人は性格が真逆で、好みも正反対なんだとか。
スポーツ好きの冨士眞奈美さんに相撲を教えてもらい、共通の会話ができたとそうです。

自分の推し力士が勝つと電話をし合い、感想を言いあうのが楽しいそうですよ。
大親友の訃報に、冨士眞奈美さんは大きなショックを受けているとのこと。
所属事務所によると、ショックが大きく、お悔やみのコメントを出せる状態でもないということでした。
まとめ
今回は、吉行和子さんと冨士眞奈美さん、岸田今日子さんの仲良しエピソードについて、紹介しました。
吉行和子さんと冨士眞奈美さん、岸田今日子さんは40歳を過ぎてから仲良くなり、3人娘として旅番組にも出演していました。
大人の程よい距離感で、共通の趣味もあることから、長年親友で居続けられたと言います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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